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会社沿革

水島本線

1943年 7月 旧三菱重工水島航空機製作所専用鉄道として倉敷~水島航空機製作所間が開業
1947年 4月 水島工業都市開発株式会社を設立
同社に移管
1948年 6月 地方鉄道の免許を受けて地方鉄道の営業を開始
8月 社倉敷(現在の倉敷市)~水島~水島港間を地方鉄道として開業
1949年 5月 球場前駅開業
11月 西富井駅開業 ※1952~1966年の間に終点側に0.1km移転
1952年 4月 倉敷市が水島工業都市開発から鉄道事業を買収すると同時に倉敷市交通局運営の市営鉄道となる
~1960年 水島~水島港間の旅客営業廃止
1962年 7月 水島港~西埠頭間開業
1965年 8月 水島~川鉄前間開業
1968年 10月 五軒屋駅休止 ※五軒屋駅は1955年制作の映画「麦笛」のロケで使われた駅
1970年 4月 倉敷市から地方鉄道事業の譲渡を受け営業開始
9月 水島駅コンテナ基地営業開始
10月 水島~国鉄岡山操車場間に直通列車運転開始
1971年 9月 倉敷市~水島間にCTC新設
10月 東京フレートライナー列車運転開始
1972年 3月 東水島駅コンテナ基地営業開始
9月 水島~三菱自工前間の旅客営業開始
三菱自工前駅開業
1973年 5月 西富井駅を0.4km起点側に移転
高架完成
1976年 12月 休止中の五軒屋駅廃止
1981年 4月 倉敷市駅を国鉄(現在のJR西日本)倉敷駅前に移転
1983年 3月 新操車場へ機関区が移転開業
1984年 3月 三菱自工前~川鉄前間に倉敷貨物ターミナル駅開業
CTCセンターを移転開業
倉敷貨物ターミナル駅~川鉄前間、水島港~西埠頭間を廃止
※倉敷市~倉敷貨物ターミナル駅間を「水島本線」とする
1986年 3月 栄駅開業
1988年 3月 浦田駅開業
1989年 3月 福井駅開業
1992年 9月 浦田~三菱自工前間を高架化
常盤駅開業
1995年 2月 新型車両MRT300形式使用開始
3月 水島本線ATS新設
1996年 3月 ワンマン運転開始
2002年 3月 土曜、日曜、祝日は全列車ワンマン運転
2005年 7月 西富井駅、水島駅で風速計の使用開始
9月 倉敷市駅終端列車防護装置の設置
2006年 2月 MRT300形式の速度制限装置使用開始
3月 キハ20形式の速度制限装置使用開始
2007年 3月 三菱自工前発着列車の昼間便を運転開始

港東線

1962年 7月 倉敷市交通局運営の市営鉄道として水島~日鉱前間(現在の東水島)を開業
※水島~日鉱前間のキロ程は3.3km
1970年 4月 倉敷市から地方鉄道事業の譲渡を受け営業開始
1972年 3月 東水島駅を0.3km延長し移転 ※1966年以前日鉱前駅から東水島駅に改称

引き込み線

水島本線 川鉄前 1986年 11月 輸送中止
西埠頭線 1998年 11月 輸送中止
港東線 三菱化学 1995年 2月 輸送中止
ジャパンエナジー 2006年 4月 輸送中止
東京製鐵内レール撤去

水島臨海鉄道の歴史

1925年(大正14年)に明治期から続いた高梁川の大改修工事が完成し、東高梁川の膨大な敷地は工業基地を目指して開発されます。
この頃、農業県であった岡山県は重工業の発展のため三菱重工、名古屋製作所の新しい工場誘致に成功し工業建設資材を運ぶ交通手段として倉敷と遠浅の河口跡を結ぶ鉄道の敷設に取りかかります。

その頃構想計画のあった「南備鉄道計画」は、倉敷駅を起点として水島を通過して児島へ向かい、味野から宇野駅に通じるというものでした。工場完成までにこの路線が利用したい三菱重工でしたが、計画倒れに終わります。

鉄道建設のため事務所を老松町に設けて用地買収と設計を行っていく中、国鉄へ工事委託した場合「設計に1年半、工事に2年かかる」と言われ、それでは海軍の期待に沿う新工場の完成に間に合わないため、設計3か月で認可をもらい当時の技術者たちだけで正味8か月の突貫工事をやり抜き、三菱重工岡山工場の専用鉄道が完成しました。
鉄道の運行は国鉄によって行われ、工場の資材や水島の街の建設資材などを運ぶ手段として定着していきました。

当時の鉄道駅は3駅ありました。倉敷駅、福田駅、そして岡山工場駅です。戦後、福田駅は弥生駅に変わり、岡山工場駅は水島駅となりました。

当時の車両は蒸気機関車が貨車を引き連れて走行しており、倉敷駅は今の倉敷市駅よりもさらに200mほど西の川西町に設けられ、三菱重工関連の人たちの専用列車でした。

水島空襲で工場が全滅したあと、無傷で残った鉄道は「水島工業都市開発」という地元出資の会社の手にゆだねられます。

その後、三菱関連の人たち以外にも列車開放されるようになり、地方鉄道として営業を続けますが、採算が取れず次第に経営が苦しくなっていきました。

昭和27年に倉敷市は鉄道を買収し「倉敷市営鉄道」として倉敷市交通局を発足します。水島地区へ進出してくる企業も10年を待たずして順調に誘致は進む一方、さらなる設備投資が事業を圧迫することになります。

昭和45年に倉敷市は鉄道を切り離し、民間会社として「水島臨海鉄道」を発足させます。今日の「りんてつ」です。こうして、戦争前に短期間で作られた鉄道が、今なお立派な姿で列車を走らせているのです。

工業地帯にいくつかある臨海鉄道のなかで、一般乗客が乗ることのできるのは、ここ水島とコンビナートでよく比較された鹿島の臨海鉄道だけとなります。